9:難易度

ゲームを面白くする要因はいくつもあると思うが、キモであるゲーム性を決定付けるのは難易度だと思う。簡単過ぎても難し過ぎてもダメな上、どう感じるかは人それぞれ、こうなるといくら上手く調整しようと努力しても手の打ちようがない。

そこでメーカーはノーマルやハードなどの難易度設定なる物を発明した、だけどコレはゲームのキモの部分をユーザーに丸投げした逃げである。その中で任天堂の姿勢は評価できた、難易度設定を付けずにユーザーをいかに諦めさせず飽きさせず挑戦させるか、挑戦自体が面白くなければ無理な話である。このバランスの最高峰がスーパーマリオなのだろう。しかし、流石の任天堂も市場が拡大するにつれ絶妙な難易度調整を諦めたようで、「終わらせるのは大して難しくないが極めるのは大変」から「選ぶコースによって如何様にも難易度を変えられる」と難易度に対するアプローチを変えてきた、しかし、この方法は膨大な労力が必要なため、そんじょそこらのメーカーに出来るような芸当ではなかった。

一方全く異なったアプローチを取ったのがRPGである、難易度をユーザーのスキルではなくプレイ時間に比例させた、コレにより時間を掛ければ必ず終わるわけだがユーザーに自分のスキルが上がったような錯覚を持たせることに成功したのだ。

ネット時代になって難易度調整で感心したのはデモンズソウルである。ゲーム自体は手順を踏めば一人でもなんとかなる難しさでちょうど良い感じだが、それはあくまでゲーム馬鹿基準であり普通は難しいと感じるゲームだ、そこでネットで出会う人のスキルによって難易度を下げることが出来る協力プレイを導入したのだ。コレは運の要素により難易度が変わるシステムで素晴らしいと思った。

このようにクリエイター達はいかにプレイヤーに程よい達成感を与えるか、要はゲームに勝ったと思わせるか!に苦心してきたのである、コレが売上に多大な影響を与えていたからだ。

ところがである、現在このようなゲームは主流ではなくなってしまった。今の主流は難易度の概念がないゲームである。すなわち「対戦ゲーム」か「目的を自分で決めるゲーム」の2つが主流となってしまった。フォートナイトやマインクラフトが代表だと思う。これらのゲームは「勝つこともあれば負けることもある」や「ただ自分の目的のためにひたすら作業をする」といった日常生活と同じ事を架空の世界で楽しませるわけで変身願望を満たすツールと言ったところだ。

まあ結論は分かると思うが、「ゲームの中ぐらいは勝たしてくれよ」って事で昔ながらのゲームの復権を望んでいます、無理だろうなー